2025年リレートークご報告

お知らせー難病連

2025年難病連リレートーク 「知ってほしいわたしたちの思い」~難病患者・家族の体験談を医療、社会に届ける~資料抜粋

NPO法人
大分県難病・疾病団体協議会
早野 眞弓

『 ご あ い さ つ』

今回も昨年同様加盟団体9団体から発表致します。患者本人がいかに病気と向き合っているか家族がいかに支えているか等、泣いたり笑ったりの時間の中で今日参加している皆様が自分のこととして考えて頂く時間になり、又頭の隅でも置いて頂けたらと思います。来年に向けて団体以外の人からも体験談を発表したい申し込みがあることを願っています。

私も患者家族で、妹が難病でした。難病とわかって60年以上の歳月が流れています。今と違って難病または障がい者という言葉すら聞いたことがない時代の子供でした。医学の進歩とともに薬や治療法が研究され、何とか日常生活ができている患者さんも増えてきています。しかしまだそうでない患者さんも沢山おられます。両親の高齢化の問題・兄弟の問題等々課題を挙げればきりがありません。医療機関だけでなく、行政や障害者団体、福祉関係者の連携の必要性等を感じ、より多くの人が参加して頂けること願って来年に繋げたい と思います。

大分IBD友の会

『 病気とともに生きる 』 井上 亨

病歴

昭和58年8月、25歳でクローン病を発症しました。市役所に就職して3年目でした。学生時代は野球部、洋弓部に所属していて健康には自信があったので難病と言われたときはショックでした。半年の入院後職場に復帰しましたが、70キロ以上あった体重が50キロになっていました。それから病気との長い付き合いが始まりました。

 

クローン病は口から肛門までの消化管に潰瘍が起こる病気です。病状が悪化すると腸管が潰瘍で詰まる腸閉塞、潰瘍からの大量出血、腸と腸、腸と皮膚がつながる瘻孔などが起こる病気です。当時は有効な治療薬がなく、再燃すると入院して絶食して安静にするほかありませんでした。

29歳の時に腸閉塞で小腸部分切除、36歳の時(平成6年)には腸閉塞と小腸からの出血で入院中に突然小腸が破裂し汎発性腹膜炎のため、夜11時から緊急手術になりました。手術が終わったのは朝でした。主治医から家族に「数日が山です。合併症をおこすと非常に危険」と言われたそうですが、危機を乗り越えることができたのは幸運でした。その後もたびたび小腸出血を繰り返し、その都度入院になりました。出血が止まらず小腸を切除したのに退院直前に再び小腸からの出血があった時は、このまま一生食事がとれず、点滴だけで生きていくしかないのかと落ち込みました。

合併症の肛門周囲膿瘍と痔瘻にも悩まされました。肛門周囲膿瘍で腫れあがった患部の切開は想像を絶する激痛でした。 長期間にわたる痔瘻が原因で53歳(平成23年)の時に痔瘻がんになりました。このがんは0.1%の発生頻度の希少がんで、早期に発見するのが難しいがんでしたが、違和感に気づき受診した際、念のために実施した生検でがん細胞が見つかり早期に手術することができました。再発の可能性があるため直腸切断術を行い人工肛門になったものの、完治しました。痔瘻で20年以上悩まされてきたので、不便さはあるもののQOLは格段に向上しました。

 がんになったとき、これで自分は死ぬかもしれないと思いました。がんが他の病気と決定的に違うところは治療がうまくいけば完治できるが、手遅れになれば死を覚悟しなければならないことです。手術は10時間を超えました。手術後は抗がん剤治療を半年行いました。治療が終わってからは定期健診のたびに再発と言われるのではないかと不安でたまりませんでした。3年目の定期健診で異常がなかった時に、主治医から「自分の経験ではこの手術を受けて3年以上経って再発した例はないので、もう大丈夫です」と言われた時にようやく安堵したことを覚えています。  

がん再発の心配がなくなってからのクローン病の治療は、新しく開発された生物学的製剤を継続して使用することで症状を抑えることができるようになりました。今は2週ごとに自己注射しています。何度も手術を繰り返したので小腸が通常の半分以下に短くなったので、摂取カロリーの半分を成分栄養剤で補っています。病気の原因はまだ解明されていないため、根治はできませんが、10年近く寛解状態を維持できています。

患者会

発症当時からクローン病についての情報がほとんどなかったのに東京で著名な消化器専門医が集まる市民公開講座に応募し参加しました。 ここで東京と大分の医療格差を知り愕然としました。患者会の紹介があったので、情報を得るため東京の患者会に入りましたが、定期的に送られてくる会報誌 を読むだけの会員でした。

しかしそれだけでは物足りず、患者同士で会って治療や療養生活について話がしたいと強く思うようになりました。そこで大分市保健所の難病担当保健師に相談したところ、患者会設立に協力してもらえることになりました。IBD(潰瘍性大腸炎・クローン病)患者に患者会入会の意向調査をしてもらったところ、100名近い希望者がありました。そのため保健所主催の難病相談会で患者会の必要性を訴えて参加希望者を募り、平成12年「大分IBD友の会」を立ち上げました。当初の患者会活動は、医療講演会や患者交流会、宿泊交流会などを行いました。数年後にはNPO法人IBDネットワークに加盟して全国の患者会の皆さんとの交流や国に患者の意見や要望を伝える活動をしてきました。九州の患者会でまとまろうということで九州IBDフォーラムを結成し、九州各県での医療講演会やIBDの日のイベントなどを協力して行っています。 

また、がんになった翌年の平成24年リレーフォーライフ大分(がん患者を支援するため24時間歩くチャリテイーイベント)に参加してがんサバイバー(がん経験者)と話すことができました。この経験からがんサロンに実行委員として参加するようになりました。毎月がんサロンを開催してがん患者や家族と交流を行い、秋にはリレーフォーライフ大分の会場で、医療関係者や医学生、がん患者・家族と交流をしてきました。実行委員をやめた後は、がんサバイバーで「やまびこsun」を結成、毎月がんサロンを開催して秋のリレーフォーライフ大分に参加を続けています。サロンに初めて参加した人は医者や家族、友人にも言えない悩みを親身に聞いてくれて気持ちが楽になったと言います。 

私たちがんサバイバーはがん治療のつらさや将来への不安を体験しているからこそ、がん患者のだれもが参加しやすく、がんに関する悩みを話せる場を提供していこうと頑張っています。

患者会を結成して25年になります。生物的製剤の登場で治療法が劇的に改善されました。インターネットの普及で誰でも最新情報が簡単に得られるようになりました。そのため新規に患者会に入会する人が少なくなっています。IBDネットワーク各会の役員は多くが10代や20代で発症、病歴も30年以上、何回も開腹手術を経験しており、人工肛門を造設した人やがんの経験者も多くいます。有効な治療薬もほとんどない時期に進学や就職でたいへん苦労してきたので、病気の周知活動や新薬の早期承認を国に求める活動、難病医療制度の維持、教員向けにIBD患者の生徒に対応するための事項をまとめた冊子の作成、病気を持ちながらも就労できる社会の実現に向けての活動などに取り組んでいます。昨年はこれから就職活動を行う患者のために「わたしのトリセツ」という18ページの小冊子を作成しました。

これは就活を経験した先輩患者へのアンケートをもとに専門家の助言を取り入れて、全国のIBD患者有志が1年かけて作成したものです。私も編集作業に参加しましたが、全国の関係先に配布しておりとても良い評価をいただいています。

 私はクローン病を発症して40年、がんになって14年、病気のため貴重な時間を失いました。5回の手術で苦しく痛い思いもしてきました。  その経験から、病気でできないことがあるのは仕方ない、今できることは先送りせず、すぐにやろうと思っています。病気のため仕事を休むことも多く同僚にも迷惑をかけましたが、職場復帰後は少しでも取り返そうと懸命に働いてきました。60歳で定年を迎えましたが、引き続き仕事を続けています。地域では40代で少年野球の監督を7年間経験し、現在は自治会の副会長をしています。

患者会もコロナ禍以降WEB講演会が増えました。どこにいても著名な医師の最新の講演を聞くことが出来る時代になりました。求めれば最新の情報を簡単に得られるのです。こうした機会を積極的に活用したいと思います。

 患者会の役割も当初とくらべると大きく変わってきましたが、実際に会って話すことで人間関係が深まります。ネット情報と違って信頼性が高い情報を得ることができるなどメリットがあります。これからも必要とされる限り患者会を続けていきたいと思っています。  本日は、私の病歴と患者会への思いなどを話しました。ご清聴ありがとうございました。

大分ヘモフィリア友の会

『 大人になった今、感じたこと 』 

         廣瀬 匠汰

こんにちは。大分ヘモフィリア友の会の副会長をしています廣瀬匠汰です。僕は血友病という病気を持っています。出血した時に血が止まりにくい病気で、幼い頃から色々な出血症状(関節内出血・筋肉内出血など)がありました。

自分で注射を始めたのは小学6年生の頃です。注射に苦手意識は無かったのですが、自分で注射を始めたころは1回で上手くいかずに何度も失敗することがあり、怖くなって注射が独り で出来ない時もありました。

他にもスポーツで制限もあり、小・中・高ではみんなと同じ運動は出来ないこともありました。やりたくても我慢しないといけなくて、自分だけ違うんだと感じる瞬間が多くありました。

ここに来ている皆さんも、何かしらの悩みや苦しみを抱えていると思います。

私自身一番悩みを感じたのは今から4~5年前です。その当時私は飲食店で働いていました。立ち仕事の毎日で、家に帰ると足首と膝を冷やしたり圧迫したりしてケアをしていました。しかし気をつけていたのに、左膝の関節内出血の回数が日に日に多くなり、気づくと朝起きて1歩目を着く瞬間激痛が走るようになり、みんなと同じ様に走れなくなり、階段の昇り降りも出来なくなって、昔の日常生活に戻れない、これからどうしたら良いんだろうと思いました。今までは親に相談していた事がだんだんと打ち明ける事も出来ないくらい苦しくて、生活するのがとっても嫌でした。

その時初めて自分の病気を嫌いになりました。

ある日の定期受診の際に主治医から、「東京に血友病患者の関節症を多く診ている先生がいるから一度受診してみたら」と話があり、何か変わるならと思い東京大学医科学研究所付属病院を受診しました。その時先生から言われた言葉に耳を疑いました。「廣瀬くんの膝は大変なことになっている。場合によっては人工関節を入れないといけないよ!何で今まで放置していたの?早く手術しないといけない状態だよ」と言われました。人工関節を入れる以外に方法は無いかと聞くと、滑膜切除術で関節症の進行を遅らせる可能性があると言われ、私は一目散に「その手術してください!」とお願いして、2022年5月31日に手術をしました。手術後すぐにリハビリが始まり、初めは話し相手もいなくてただリハビリを頑張るだけの不安な生活が始まりました。そんな中、入院中に何人もの同じ血友病患者が私と同じ様な手術をする為、人工関節の入れ替えの為に入院して来ていました。その患者さんたちと挨拶から始まり、自分の経験談や悩みを打ち明けられる様な関係性になりました。気づいたら毎日オセロやトランプ、将棋など、いつしか楽しい入院生活になりました。

この時私は改めて患者会の事を思い出しました。幼い頃、みんなでサマーキャンプに行ったりクリスマス会をしたり、出血のことを話したり、それが私にとってとても助けになっていたなぁと改めて感じました。

 そこで私が皆さんに伝えたい事は、「患者会の大切さです」きっかけは親が参加していた患者会活動について行った事です。初めは大人ばかりが居る場所で楽しくもなく、ずっと病気の話をするし、理解もできませんでした。通っていくにつれて子供も増えていき、同世代の子と経験談や悩みを話していると、悩みを抱えているのは自分だけじゃない同じ子も居るんだと、楽しくない場所から楽しい場所に変わってきました。

大人になった今、皆さんに患者会の大切さについて一言で言うと、「同じように悩んでいる人たちがいること、それを話せる場所があることはとても心強くて良い環境です。

 私は今、YHCという団体のメンバーとして活動しています。YHCとは「Youth Hemophilia Club」の頭文字を取ったものです。YHCは20代から40代のメンバーを中心とした、血友病のグループです。当事者・ご家族・保因者の方達へ向けて日々情報発信などの活動をしています。メンバーとは月1回、Zoomで会議をしています。その他にもみんなで集まってユニバーサルスタジオに行ったりと楽しい事もしています。活動に参加してからは、考え方も少し変わりました。

病気=マイナスじゃなくて、病気があっても好きな事はできる。

今は、血友病のことを知ってもらうために発信をしたり、病気の子たちと繋がったりするのが楽しいし、それが自分の役割なのかと思います。大分でも難病患者の皆さんで楽しい事が出来たら良いなと思います。私の話で、病気があることをマイナスではなくプラスな気持ちになったと思う人が1人でも増えたらとても嬉しいです。今日は私の話を聞いていただき、ありがとうございました。